病状まとめ(アトピー性脊髄炎)
自分の振り返り用です。
4月
左手の指に違和感。と言ってもなんかくすぐったいぐらいで、
それもたまになのでこの時点ではまったく気にしてなかった。
5月終わり頃
指の違和感の出る頻度が上がったので一応病院へ
ネットで調べて整形外科がこれらの症状を見てもらうことができそうなので近所の整形外科へ
薬や湿布をもらい様子を見ることになる。
6月
初め脚の脱力と強張りや痺れ。
最初に通院した整形外科へと再度受診し脚にも症状が出るのは脳関係かもしれないと地域の大きい病院へ紹介。
紹介された病院でレントゲンやMRIや造影剤を使った撮影を行うも異常言える所見は無し。
タリージェと神経に作用するビタミン剤を処方してもらう。
6月下旬
手足の痺れが強くなる。
字もかなり書きずらい、と言うよりマスの中に書くのは困難。ボタンを閉じるのもかなり苦労する
ペットボトルや缶コーヒーを開けるのに補助道具や滑り止め手袋を使わないとできない状態。
さらに大きい病院を紹介されて受診(整形外科と脳神経内科)
MRIやレントゲン血液検査など各種検査を受けるが異常を示す所見は無い。
7月上旬
個人的に違う病院の脳神経外科を受診するも結果は同じ。
6月に紹介されて行った病院をここの病院でも紹介された為戻って通院を開始する。
この段階で痺れは手足にでており問診票が書けない立ち上がる時や座る時に転びそうになる。
7月中旬〜下旬
通院で治療。
すぐに薬の効果も出るわけでわないので我慢の様子見、サポーターや湿布も試せるものは試し少しでも改善しないか試しに試した。
この頃ある時は壁伝じゃないときつい。
8月上旬
8月はほぼ週一のペースで通院
立ち上がると脚に力が入りすぎて全く動かない感覚。動き出すまでに数分掛かることも、
歩き出せば膝がカクンっと抜けたり、ちからが入らなくて脚が持ち上がらない。
急に貧乏揺すりみたいな動きもする。
8月中旬
手足の痺れがかなり強くなる。
そのせいで寝付けない、寝ても目が覚める。
脚かなりの悪化して転びそうになる頻度が爆増。杖だったり松葉杖がないと歩けない状態。
そしてこの頃から極度の便秘で脳神経内科の通院と共に内科も受診して下剤も処方してもるようになる。
8月下旬ごろ
更に悪化、足に痺れとは違う痛みが出てきて、自力で歩くのが難しく杖をつくのも手が痺れていてうまく使えないそもそもモノを持つのがかなり辛く杖を持つことができない。
トイレが間に合わない為オムツ着用。
9月上旬
9月初めてさらに悪化、原因不明だが、脳や首から来る痺れなどにアプローチする形での入院治療が決定。
入院して各種レントゲンやctスキャン、神経の伝達検査、血液検査、髄液の検査などとにかく徹底的に今までしたのも含めて再検査行い、結果的に以前から患っていたアトピー性皮膚炎やアレルギーを持ってる人が高くなるIgEという数値が異常値で高く、5、6月のアレルギー検査では反応がなかったダニなどのアレルギー反応が出ていること、手足の痺れに便秘などの排泄障害あることから脊髄炎それも上記のアレルギーからアトピー性脊髄炎として治療していくことになった。
アトピー性脊髄炎の治療は幾つかあるが私の場合はステロイドパルス療法という3日連続で医者指定の濃度で強いステロイドを点滴して、その後インターバルで4日休憩の1週間を1クールとしてこれを3クール繰り返す。
点滴中は心電図や吐くかもしれないからと吐けるようにバケツ的なものなどが用意された状態で行った。点滴の時間は1時間半かかるか掛からないか程度だが、点滴中に吐き気はするし体がかなり熱くなり汗がすごかった。
点滴後もというより点滴期間中は移動できるタイプの心電計を付けっぱなしに為、ただでさえ体の痺れで動きにく上に、
この移動できるモニター心電計でさらに動きずらい、一度モニター用の電極?のシールが外れたら自分ではつけられない。
さらにナースコール的なモノが看護師さんに飛んでしまうので本当にご迷惑おかけしました。
点滴の効果は良い作用も悪い作用も速攻で現れた。
まず体の痺れは一回目で明らかに抑えられてる感じがあった。と言っても誤差の範囲、そういう日もあるよなって程度で今思うとプラシーボだったと思う。
副作用ははっきりと強い吐き気で実感していた。
次の日、また次の日と3日のステロイドを終えた翌日に朝起きて驚く。
手足が痺れていてその痛みで寝れない日を送っていて6人部屋で、隣にヤバい人がいるにも関わらず熟睡!
寝てる間全く起きてない。
そして、普通にベッドから起き上がれてる。
痺れもかなり少ない。
あまりにも急で主治医や看護師さんの方が俺より驚いていた。
ベッドから車椅子の移動もスムーズにできるようになった。
杖無しで歩くのは無理だったが明らかに良くなった。
しかし、ステロイドの影響でかなりの高血糖になっておりこのままだとインスリンが必要になるかもしれないという警告が。
入院時は低血糖の低血圧で多めにご飯食べてくださいとか言われてたのに、インスリン投与レベルの高血糖になるのはステロイド恐るべしという感じだった。
3日連続の点滴の後は4日間のインターバル期間、インターバルは体を動かして体を刺激して痺れや硬くなった体を柔らかくするリハビリをして過ごすことになった。
本当単純な動きばかりだが全く出来ない。脚のリハビリ歩行に関しては色んなタイプの杖を使って使いやすいのを見つける時間も兼ねているようで結果的に松葉杖の強化版みたいなのを使ってくことになった。
手のリハビリは色んな形の積み木を隣のケースに移すという赤ちゃんの遊びかな?と思うものだったが、全く出来ないまず積み木が掴めない触ってもほとんど感覚がないに近く指から滑って落ちていく。これには手の感覚はわかってるつもりだがだいぶショックだった。
そんなリハビリを繰り返しながらインターバルを過ごした。
2クール目に突入。
点滴期間中にトラブルはなかったが劇的な改善というのもなくほぼ変化無しでインターバルになった。
この時あたりから以前からあった排泄障害主に便秘がかなり酷くなっており、下剤を服用していても1週間近く出てない為、腸閉塞などの危険があるということで下剤がどんどん追加された。プラスして水分補給を多めにしてくださいと言われ水とスポドリを飲みまくることになった。
便秘は徐々に解決されたが、病気が原因で便秘になってる可能性が高い為下剤は継続になった。
2クール目のインターバルのリハビリはとにかく体を動かす量を増やすことになり。
ゴムチューブなどを使ったストレッチを1日2回と
手の細か運動1回を4日間行った。
この2クール目のリハビリが1番苦しかった。体が動かなくてできないのにやり続けるというのがメンタルと体力的にかなり堪えた。
3クール目
点滴初日、点滴後からかなり気持ち悪くなり食欲が皆無に、元々病院のご飯がおいしくないこともあり、その日の昼ごはんと夜ごはんは一切口にせず。就寝
点滴2日目、やはり食欲皆無だが朝ごはんについてきたフルーツだけ食べる、あとは水分補給で終了。点滴は無事終了したが、昼ごはんはカレーでなんとか食べたが完食には程遠い。
夜は全く食べれず、で終わるが看護師さんが来て食べる量が少なすぎて明日の点滴が打てない可能性があると言われて看護師さん付き添いで病院の一階にあるコンビニに行き、食べれそうなものを買い貯めする。
買ったものはその日食べるおにぎりと看護師さんのアドバイスでご飯の味濃くして食べましょうとのことから、ふりかけ、ごましお、食べるラー油的なもの、小ちゃい醤油、軽食で栄養補給ゼリーなど。
病室に戻ってコンビニおにぎり食べたら涙が出るほど美味かった。明日の朝分も食べた。
そして食欲なくなった原因はごはんが不味いことだと確信して就寝。
点滴3日目
朝ごはんは昨日買ったふりかけでご飯完食、おかずは献立表に載ってる料理とはとても思えず辞退。無事に点滴が始まり、気持ち悪くなりながらお昼へ、お昼は流石に点滴後でどうにもならず、気持ち悪さから寝て過ごしてトイレに行こうと目が覚めるとトイレに行きたいことよりも体の痺れ殆ど無い驚きの方が勝った。
松葉杖がないと立ち上がれなかったのに自力で立てるし歩ける、歩き方が自分でもわかるぐらいフラフラしてるが自立できたことにびっくりした。
そして手も痺れてはいるがかなり感覚があるベッドの手すりを触って冷たい金属だというのが判るぐらいには感覚がある。
3クール分の蓄積なのかたまたまなのかは分からないが1日目以来の急激な回復だった。
夜ごはんも味を濃くする作戦でご飯は完食。
昨日買ったゼリーなどもかなり助かった。
3クール目のインターバル期間
リハビリや散歩などを繰り返して
体が少しずつ回復してきており、痺れはあるが自力で歩けるレベル位までは回復。
しかし、椅子に座る時などはゆっくり腰をおろせずドカンっと座ってしまうことや立ち上がった時の硬直した感じは軽減したがまだある。
手の痺れは何もしていなければ痛くないが、字を書いたり、箸やスプーンなど何か持つときに痛みが出たりうまく力の調節ができず。
コップを持つと手からすり抜けるみたいな状態で
これらの症状が出る前の健康な状態からすると程遠いが、入院したときに比べると相当回復した。
1人で松葉杖なしで歩いて移動できる。
スマホの操作が片手でできるなど、1人でなんとか生活はできるだろうくらいには動ける。
その後もリハビリを継続しながら点滴の代わりとなる薬を飲みながら1週間位リハビリ生活を過ごした。
インターバル期間終了のち退院
退院
2024年の9月9日から10月2日まで入院していた。
入院当初は病名もわからなかったが、最終的にはアトピー性脊髄炎という国の難病指定されている病気ということがわかり、
ある程度回復して退院することになった。
治療は現在も継続中で悪化はしてないが良くもなってない。
完治は難しい為少しでも悪化しないようにする生活を送っている。
長時間歩けないことが退院後分かったりで退院してから申請までにかなり期間が空いてしまったが、
現在は難病指定の申請や全身の痺れで障害者手帳の取得の為申請中だがどちらも申請から2、3ヶ月掛かる為、不安が多い日々を過ごしている。
現在頼れる家族は妹しかおらず、とっくに自立して生活しているので面倒見てもらえるような状態ではないし何より迷惑をなるべく掛けたくない。
自分みたいにジッとしてれば痛みなどは無いが自分よりも酷い症状を持つ人はこの申請期間をどうするのだろうと思う。
自分みたいに頼れる人も少ない場合は詰んでしまうじゃないかとも思う。
そしてその申請も必ず通るわけでは無いのでこの点もすごく心配。
と言うよりこれで通らないなら何のための制度か疑う。
今回はブログというよりは備忘録で自分の為の振り返りでまとめ他ので文も雑だし、読みづらいと思うが、
まとめていて色々な気づきも得たので定期的にまとめようと思う。